
安い本で見当つかないけど面白そうだと感じたのは
買ってしまっとくのがいいんです。
そうすると、パラパラみただけで読まないこともあるけど、ずっとあとになって、
ああ買ってあったな、いいことしたなあと思うことが多いですよ。
――植草甚一「本はどのように読むか」
あるいみでは、読者を拒むということが、詩人の基本的な姿勢である。
――石原吉郎「一九六三年以後のノートから」
六月二十六日 朝、五時に起き、十二時まで読書し、昼飯に出かける。
午後、伯鳴が来る。夜、読書し、十二時に寝る。
――周恩来『周恩来「十九歳の東京日記』
僕ら人間について、大地が万巻の書より多くを教える。
理由は、大地が人間に抵抗するがためだ。
――サン・テグジュペリ「人間の土地」
読書は、やがて世界を読むために必要な手掛かりとして最初に取りかかる仕事であったのは昨日のことだ。
読書人は遊星よりも遊離した虚空にただよう寂しいミイラである。
――辻まこと「現代阿呆リズム」
すぐれた散文は窓ガラスのようなものだ。
――ジョージ・オーウェル「なぜ書くか」
人生、々々というが、人生た一体何だ。一個の想念じゃないか。
今の文学者連中に聞きたいのは、よく人生に触れなきゃいかんという、
その人生だ。
――二葉亭四迷「私は懐疑派だ」
人口あれば語る。人情あれば文をつくる。
春来つて花開き鳥歌ふに同じ。
皆自然のことなり。
――永井荷風「小説作法」
詩は、感情の発露ではなくて、なまの感情を隠匿するところだ。
感情の豊かな人物を冷静に観察してみたまえ、
彼らは、あらゆる意味で感情的ではない。
――田村隆一「肉体は悲しい」
物のあはれを知るよりほかに物語なく歌道なし。
――本居宣長「紫文要領」
ことごとく書を信ずれば、すなわち書なきに如かず。
――孟子
中毒するのが恐ろしければ初めから小説や詩などは読まない方がよかろう。
――辻潤「ですぺら」
文学者の事業は強ひて文壇一般の風潮と一致する事を要せず。
元これ営利の商業に非らざればなり。
――永井荷風「矢立のちび筆」
埋もれても埋もれきれずに、
再び浮かび上がってくるような作品には、
何処か本質的なところがある。
――田山花袋
小説というものは、本来、女子供の読むもので、
いわゆる利口な大人が目の色を変えて読み、
しかもその読後感を卓を叩いて論じ合う
というような性質のものではないのであります。
――太宰治「小説の面白さ」
詩はいわゆる詩であってはいけない。
人間の感情生活の変化の厳密なる報告、正直なる日記でなけらばならぬ。
――石川啄木「食うべき詩」
一国の言語の主体をなすものはその国の文学であって、
その言語を知ろうと思えばその文学を読む他ない。
――吉田健一「読むことと話すこと」
作品の批評を求められたとき、悪い物は、死んでも、いいとは云わない。
どんなに相手の感情を害しても。
だが、少しいいと思う物を、相手を奨励する意味で、誇張して賞めることはする。
――菊池寛「私の日常道徳」
最も簡単なる文章が最も面白きものなり。
――正岡子規「筆まかせ」
私は出来るだけ、私の立場と反対のものを先ず読むことにしている。
――長谷川如是閑「私の書斎と読書法」
自然を見てあはれと感じて悲しみしは歌人なり。さびしと悟って楽しみは芭蕉なり。
――内田魯庵「文学一班」
詩歌なき国民は必ず窒塞す。
――国木田独歩「抒情詩」
少しの隙あらば、物の本を、文字のある物を懐に入れ、常に人目を忍び見るべし。
――北条早雲
詩作の目的はポエジイという感情を創作することである。
詩作はポエジイをつくり出す手段にすぎない。
――西脇順三郎「詩学」
小説とは何ぞや。小説にもならぬ奴の総称なり。
――斎藤緑雨「眼雨口頭」
本はあんなにあふれているが、本当はあふれてはいない。
ただ棚をふさいで見るべき本の邪魔をしているのである。
――山本夏彦「編集兼発行人」
文体は人体のようなものだ。
――花田清輝「文体の秘密」
あれを読んだか
これを読んだかと
さんざん無学にされてしまった揚句
ぼくはその人にいった
しかしヴァレリーさんでも
ぼくのなんぞ
読んでいない筈だ。
――山之口獏「博学と無学」
良き書物を読むことは、過去の最もすぐれた人々と会話するようなものである。
――デカルト『方法序説』
書物を読みたいと思う熱心な人と読む本が欲しいと思う退屈した人との間には大変な差異がある。
――ポール・ヴァレリー
人が遊びながら書いたものを、別の人は緊張して情熱をこめて読む。
人が緊張して情熱をこめて書いたものを、別の人は遊びながら読む。
――ポール・ヴァレリー
友を選ぶが如く、著者を選べ。
――ロスコモン『訳詩論』
最も簡単な著作が常に最良の著作である。
――ラ・フォンテーヌ(17世紀フランスの詩人)
わたしには著書を作る病癖があり、
しかも著書を作った時にはこれを恥じる病癖がある。
――モンテスキュー(フランスの法思想家)
「よき文章」とは、適当の場所に置かれた適当な語句である。
――ジョナサン・スウィフト
人はあまりに速く読むか、あまりにゆっくり読めば、何事も理解しない。
――ブレーズ・パスカル(フランスの哲学者)
もともと人生というやつはつまらないものだが、
人生論というやつは、それに輪をかけてつまらない。
人生論以上につまらないものは、――さあ、ちょっとおもいあたりませんが、
たぶん、その人生論の著者でしょうね。
――花田清輝 『花田清輝評論集』(粉川哲夫編、岩波文庫)
「人生論の流行の意味」より。
書籍なき家は主人なき家のごとし。
――キケロ(古代ローマの政治家)
目的のない読書は遊戯であって、読書ではない。
――エドワード・リットン(イギリスの政治家)
良くないことが書いてあるからといって、必ずしも悪い本とは限らない。
――セルバンテス
一作ずつ切り離して見ると光っているが、全体として見ると頼りない作家がある。
一作一作には何の特異さもないが、全体として見ると頼もしく光っている作家がある。
――アントン・チェーホフ「手帖」
わたしたちは、あれは読んだよ、というために読むのである。
――チャールズ・ラム(イギリスの評論家)
書物は友人と同様、数少なくあるべきであり、そしてよく選択さるべきである。
――トーマス・フラー
読書は、自分の頭脳で考える代わりに、他人の頭脳で考えることです。
――ショーペンハウアー「みずから考えること」
本を読むことは、本と、またその著者と対話をすることです。
本は、問うたり、答えたりしながら読まねばなりません。
要するに、読者は、精神上の力くらべであります。
――福田恆存「教養について」 『私の幸福論』(ちくま文庫)より
日曜日にはエッセイを読むのが一番好ましいのだが、
それはもう、そういうものを読んでいると、
ほどほどに、そしてある程度祭日めいて退屈になるからである。
――カレル・チャペック「適時適書」 『いろいろな人たち』(平凡社ライブラリー)より
最良の書物は善い読者と呼ばれる人々によってさえ読まれない。
――H・D・ソロー『森の生活』(岩波文庫)
書物は道具である。そして、古典も道具である。道具を大切にするのはよいが、
道具の前でお辞儀してしまったら万事は終る。
――清水幾太郎「古典」より
書物のほんとうの喜びは、なんどもそれを読み返すことにある。
――D・H・ロレンス
書き上げた本は殺されたライオンに似ている。
――アーネスト・ヘミングウェイ
書物を買うということは、単に本屋と本の著者を喜ばせるばかりでない、書物を所有することには、
全く独特な喜びがあり、独特なモラルがある。
――ヘルマン・ヘッセ
本は世界の代用となるものではない。この人生においては、一切がその意味と使命を帯びていて、
それを何か他のもので余すところなく満すことは出来ない。
――F・カフカ 『カフカとの対話』G・ヤノーホ(ちくま学芸文庫)より
書物より人間を研究することがいっそう必要である。
――ラ・ロシュフコー『ラ・ロシュフコー箴言集』岩波文庫より
古典とは、誰も読んでおこうと思いながら誰も読もうとしない本のことである。
――マーク・トウェイン
本は目の延長である。
――マーシャル・マクルーハン「メディアはマッサージである」
読書は休養であると共に又一つの仕事である。
――阿倍能成「青年と教養」
作家の意図など読者の知ったことではないし、作家のほうも、読者が買った本を気に入ったかどうか
ということまでいちいち気にかける必要はない
――ウラジミール・ナボコフ(最後のインタビューで)『ユリイカ』青土社(1991.10)
最高の書物とは、読者にわかりきっていることを語ったものだ
――G・オーウェル「1984年」
道徳的な本とか不道徳な本とかがあるわけではない。上手に書かれた、あるいは
下手に書かれた本があるだけだ。
――オスカー・ワイルド
むしろ、一見、仕事に関係のないように思われる書物を乱読することをおすすめする。
そうやって社会を知り、人間を知り、人生を知ることのほうが、はるかに仕事にとって有益なのである。
――山口瞳「新入社員に関する十二章」より。『新入社員諸君!』(角川文庫)収録
(古本屋は)本たちの墓場だという。けれども、そこへ足を踏み入れれば、なん十年
来、棚に立ちつくしていた本たちは、いっせいに振り向いて、まだ死んでいない表
情を示すのである。
――山本夏彦 『何用あって月世界へ 山本夏彦名言集』文春文庫より
好きなものは、と訊かれたら、些の躊躇なしに、旅と酒と本、と私は答える。
――「草木塔」 種田山頭火『山頭火随筆集』(講談社文芸文庫)収録