『田中小実昌紀行集』田中小実昌著 〈テツガク〉を読む #1

『田中小実昌紀行集』
田中小実昌著 JTB 2200円+税

※以下本稿は「BE-PAL」2002年1月号に掲載された「青空図書館」の記事をWeb用に改稿し、再掲しています。

コミちゃんこと田中小実昌には、一度だけ会ったことがある。

たしかロスで客死する2、3年前のことで、半日ほどご自宅にお邪魔した。
コミさんは(僕には、とても“ちゃん”とは呼べない)インシュリン注射を打ちながら、根気強くロングインタビューに答えてくれた。

そのときの話は、とても含蓄深く、いまだに忘れられないセリフがいくつもある。
たとえば、コミさんの大好きなバス旅行に関して。

あるとき、コミさんはフラリとバスに乗った。終点まで行って乗り換える。また終点で、乗り換える。そうやって、どんどん西に向かって、たしか鹿児島のどこぞの岬までたどりついたというのである。
僕は、こう聞かざるを得ない。
なぜ、西へ向かったのですか。
すると、ちょっと怒ったふうな顔で、コミさんはこういうのである。

「だって、バスが東からきたからですよ」

僕の頭は、一瞬、真っ白になった。
こりゃ、テツガクだ。

それからコミさんは、ご自分の父親の話をした。昭和初年に十字架のない独立教会を創設し、戦時中も無教会派牧師として人生を貫いた田中種助……。
どうやらコミさんは、「神と父」という大問題を抱えながら、ずっと生きてきたふうなのである。
てっきり、ストリップおじさん、エロ小説アル中おじさん、競馬マージャンおじさん……とばかり思っていたのだが、なんと大テツガクおじさんだったのだ。

本書『田中小実昌紀行集』には、全部で20篇のトラベル・エッセイが収録されている。1975年から2000年まで、場所も津軽からマンハッタンまで、じつにさまざまである。
そのほとんどが、バスの旅。

《バスは終点にきた。バスが、いずれ終点でとまるのは、あたりまえのことだが、この終点が、名古屋のどのあたりかはわからない。そして、終点から、またバスにのった》 ―「さくら・さくら」―

かといって、コミさんが、いつも目的地無しの行きあたりバス旅をしているわけではない。たとえばあるときには、練馬の自宅前から半時計回りに東京湾をひと回りするバス旅に出る。

《じつは、信じられないだろうが、電車では一時間もかからないこの津田沼から東京にバスでかえりつくまでに、足かけ3日かかった。これまでも、ぼくは東京から江戸川をこえて市川まではバスでなんどもきたが、ここでぷっつん、千葉のほうにはいけなかった。くるしまぎれに、バスで北にのぼって松戸にいったりしたけど、むなしくひきかえしてきた》 ―「十年越しの東京湾ぐるり旅」―

バスというものは、ローカルには合理的なシステムだが、たぶんトータルには、理不尽なものなのである。
だからこそ、バス旅は、すぐれてテツガク的なのだろう。

コミさんは、兵隊から帰って、東大哲学科を中退する。ストリップに入り浸り、小説や映画批評を書き飛ばしつつ、バス旅をしながら、ひたすら延々と飲み歩く。

だってバスは来るし、ハダカもお酒も出てきちゃうからですよ……。

と、コミさんならいうだろうか。

一読して驚くのは、収録されている全編で“オチがない”ことだ。
坦々と。淡々と。それこそバスが来れば乗り、終点につけば降りるがごとく、ただただ書き綴る。ウケを狙うあざとさに夜な夜な呻吟するぼくなぞ、ただ恥入るほかない。
ひるがえって世は、ますます混沌の度を深めている。この非論理の魑魅魍魎どものうごめく世界に依然として屁理屈で挑もうとするところに、僕ら現代人の悲劇がある。消費が伸びないのは、不景気のせいばかりではない。コンセプトとかテイストとかコピーライトとかコンペ……などというまやかしの合目的性が、もはや邪魔くさいからでもあろう。
だから、コミさんふうのバス旅流テツガク……に、僕はとっても憧れる。これぞ、元祖、原始力スタイルではないか。

あのときサインをもらったはずだ……と思い出して書棚を探してみると、あった。『なやまない』という本の見返しに、かすれた文字で、こうあった。

うしろからおされて
田中小実昌

 

いま思うと、すごい言葉だ。

 

★「荒野に死す」は、ちょっとお休みします。同じころ、雑誌『ビーパル』に書いた書評原稿(「原始力ブックストア)に、ちょっとオモシロイものがありました。ここに書いてあるインタビューとは、雑誌『サライ』の巻頭インタビューのことです。この取材のとき、写真を撮っていただいたのは、故・高橋昇さん。ものすっごく個性的かつパワフルな写真家さんでした。ノボルサンのことも、いつか書いてみたいと思います。

関連記事一覧

  1. この記事へのコメントはありません。