むしむし特別企画! 車谷長吉さんインタビュー 

特別企画! 車谷長吉さんインタビュー

反時代的毒虫、虫を語る

車谷長吉さんに「武蔵丸」という短篇小説があります(新潮文庫『武蔵丸』所収)。
足立区の舎人公園で見つけたカブトムシに「武蔵丸」と名づけ、
夫婦で大事に世話をするという作品です(2001年の川端康成文学賞を受賞)。
この方はきっと虫が好きにちがいない……。
車谷さんにインタビューを申し込むと、
なんと事務所に来ていただけることになりました。

「反時代的毒虫」とも評される私小説作家を前に、
おずおずと取材準備を進めていると、
「私はこういうのいちばん嫌いなの。カメラとかテープレコーダーとか」
さっそく本気とも冗談ともつかぬ毒をちょうだいしつつ、
インタビューを開始しました。

●第1回 家全体が虫籠だった

―― 虫はお好きですか?

車谷 ……虫は、家の中にゴキブリが這っているよ。関西でいう油虫ね。

―― 退治しないんですか?

車谷 嫁がやってる。

―― 車谷さんはなさらないんですか?

車谷 殺さない。私はそういうことしない。もし嫁に頼まれても絶対しない。

―― それはなにか信念があってのことなのでしょうか?

車谷 生き物を殺すなんてことはさ……できないよ。生き物は基本的に殺さないように生きてきた。

―― 子供のころ、遊びで殺したなんてこともありませんか?

車谷 ないなあ。でも1回……。私の家は農家なのね。東側と南側が田んぼ。家のなかが蛇だらけなのよ。それで小学生の低学年の頃、蛇を追っかけまわしていたら穴に入っちゃた。尻尾をつかんだら尻尾がプツンと切れるんだね。尻尾だけ残って胴体は穴の中に残っちゃった。で、尻尾だけ動いてるのを見ているとおふくろが出てきてさ、「なんて冷酷なことするんだ」と怒られたよ。でも、人に聞いたらまた生えてくるんだって、1回だけはね。2度目は生えない。で、尻尾なくても別に死ぬわけじゃないんだって。
 まあ、生き物を殺すの……いやだよねえ。ぼくは料理人をやっていたからたくさん殺しちゃったけど。エビ、カニ、魚……。まあ、殺す人も食べる人も同じ罪だと思うよ。

―― 子供のころ、虫を飼っていたことはありますか?

車谷 もうまわりにいっぱいいたからなあ。飼うったって虫のなかに暮らしているようなものだから。家全体が虫籠だよ。

―― いちばん多い虫はなんでしたか?

車谷 大きなところでは……やっぱり蛇だよね。

―― 蛇……。蛇は虫でしょうか?

車谷 「長虫」っていうでしょう。長虫という言葉は万葉集に出てくるからね。そのころは、昆虫なんて言葉はないからさ。「昆虫」という言葉は、たぶん明治になってから翻訳で作ったんだと思うよ。誰が作ったかしらないけど。

―― ほかに覚えている虫はいますか?

車谷 ゴキブリはいっぱいいたな。それから蟻だよね。蝶もたくさんいた。トンボは関西でいうミソトンボとシオカラトンボとオハグロトンボの3種類が庭にいっぱい飛んでた。

―― 捕まえて遊んだりはなさらなかったんですか?

車谷 とにかく殺生してはいけないと、幼稚園の頃から親に言われてた。殺生する大人、子供、男および女に会ったことがなかった。まあ親が農家の場合はね。農家じゃない人に出会うと、平気で殺したりするんだよね。チョウチョつまんだりする。

―― では、カブトムシも飼ったことがない?

車谷 山にはいたよ。でも家に連れて帰ってくるということはしなかった。まあ、いっぱいそのへんにいるわけだから。たとえば庭にイチジクの木があったんだけど、いっぱいクワガタがいたよ。共生しているわけよね。だから珍しいとかそういう気持ちも持ったことがない。

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車谷長吉 くるまたに・ちょうきつ

昭和20年、兵庫県飾磨(現姫路市)生まれ。
慶応大学卒業後、広告代理店などに勤務しながら、小説を書き始めるが挫折。
郷里に帰り、旅館の下足番や料理屋の下働きとして関西を転々、「無一物」の生活を送る。
38歳で再上京。47歳のとき、書き継いできた私小説をまとめた作品集『鹽壺の匙』を上梓、
芸術選奨文部大臣賞、三島由紀夫賞を受賞する。
平成10年の『赤目四十八瀧心中未遂』(直木賞受賞)ほか著書多数。
妻は詩人の高橋順子さん(小社から詩集『あさって歯医者さんに行こう』を刊行)。

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